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  バギオでの生活! 写真集  
  2012年フィリピン旅行記 2015/5/12〜2012/5/20
マニラに戻ったが・・・

7日目

バスば予定通り、AM6:00頃、マニラに到着した。大使館に行くには少し早かったので、マクドナルドで時間をつぶした。

そのあと、ジプニーに乗り、大使館の近くまで行った。乗客の中に親切な人がいて、大使館への道順を教えてもらった。

無事、大使館へ到着したが、AM9:00に開くため、もう30分くらい待たないといけない。

AM9:00になり、大使館の人と話をした。睡眠薬強盗にやられ、29時間記憶がなく、バギオで気がついたことを説明した。

大使館にお願いしたいことが2つあった。

1つは、現金が4,000円くらいしかないため、貸してもらえないかということだ。

返事は、1円もない場合等であれば貸すが、貸す場合でも1日当たり1,000円程度が上限で、空港近くのドミトリーに泊まるようにとのことであった。4,000円もあれば、十分だとのことであった。

それでも不安だったので、クレジットカードでキャッシングをしたいが、暗証番号がわからないので、カード会社に電話をお願いした。電話をした結果、暗証番号は電話では答えられないと言われ、現金は4,000円のまま、残りを過ごすこととなった。

もう一つは、海外旅行保険に加入しているので、被害届をお願いした。すると、警察の場所を教えるから、そこへ行って手続きするように言われた。

大使館は何かあったときに、日本人を助けてくれると思っていたが、考えが甘かった。

そのあと、教えられた警察へ行った。警察で被害状況を英語で説明したが、マニラ警察は英語も、日本語もだめで、タガログ語しかできないようだ。近くにいた日本語を勉強している女の子に、通訳をたのんでいたが、その女の子も日本語が少ししかできない。

  
  マニラ警察


1時間くらい説明しても、なにも進展しない。そこに、日本人向けの新聞「まにら新聞」の記者が来て、警察が書く、ポリスレポートの下書きをしてくれた。PM5:00に書類を取りに来るよういわれ、警察をあとにした。

その後、名前を伏せて記事にしたいと言うことで、了承し、昼食をおごってもらった。昼食後、その記者と2人で最初に睡眠薬強盗の3人と会った場所へ行った。被害に遭ったときと同じような時間帯だったので、もしかしてと思ったがやっぱりいなかった。

  
  睡眠薬強盗に会った場所


その後、泊まるところを確保しないといけないため、その記者にホテルを紹介してもらった。現金が少ないので、クレジットカードが利用できるホテルへ連れて行ってもらい、予約すると、「このカードは利用できません」と返されてしまった。しょうがないので、次のホテルへ行ったが、また、「このカードは利用できません」と返されてしまった。もしかして、睡眠薬強盗にクレジットカードも被害にあったのか?

次のホテルへ行き、部屋を選ぶ。少し高い部屋(2,600ペソ×2泊)しかないが、予約なしで当日なのでしょうがない。お願いするとここでは、同じクレジットカードを使うことができたので、このホテル「シティステイト・タワー・ホテル」に泊まることにした。



ホテルを出て、書類をもらいに警察へ行った。すると、書類はまだできていないという。それと、モンタージュ写真を作ることに協力するようにいわれた。昨日の晩は、バギオからマニラ行きのバスで、韓国人がうるさくあまり寝ていないので協力したくなかったが、無理矢理な感じだった。目、鼻、口など順番に選んで日本人の僕に、フィリピン人の写真が作れる訳がないと思った。

最初は、警察の別室に連れて行かれたが、すぐに警察の車で20分くらい離れたところに連れて行かれた。移動中も、「何で、そんなに現金をもっているのだ?」「仕事は何をしているんだ?」など、犯人逮捕とは関係ない話ばっかりだ。

場所に着くと、モンタージュ写真をフォトショップで作ることになった。まず、34才の女1のモンタージュを作ることとなった。まず目、それから鼻、順番に選んでいく。全然、自信がない。できあがると、「何パーセントの出来だ?」と聞いてくる。「50%だ」と答えると、「どこが違うんだ?目か鼻か?」みたいに攻めてくるが、正直わからない。いろいろ替えて、85%と言ったところでやっとOKとなる。

次に、60才くらいの男1だ。同じように85%と言ったところで終了だ。

今回の睡眠薬強盗は、3人組であることは何回も説明しているが、時間もPM10:00くらいになり、疲れたのか、2人のモンタージュ写真を作成し、終了となった。

もう一度、警察に戻り、被害届を受け取り、歩いてホテルへ戻った。

ホテルへ戻ると、「まにら新聞」の記者から電話があり、記事についての確認があった。

そのあと、AM1:00くらいから、記者と飲みに行き、AM3:00ごろにホテルに戻った。飲み屋からホテルへ戻るとき、4〜5人の子供が囲むように、僕たちのズボンのポケットへ手を突っ込んでお金を盗もうとしてくる。

マニラは危険だと感じた。


8日目

この日は、2日目に行けなかった、サン・オウガスチン教会に行くことにした。バギオに比べ、マニラはすごく暑く、行くまでにマクドナルドで休憩をした。そこを出て、すぐにペディキャブを捕まえ、サン・オウガスチン教会に行った。すごく暑くて、気分が悪くなってきたので、すぐに帰ってしまった。

ホテルに戻り、休んだ。

夕食は、ホテルの1階にあるレストランで、食事をすることにした。サンミゲルビールをハッピーアワーで3本のセットのものを頼んだが、2本も飲めなかった。

こんなに、ビールを飲まない旅行は初めてだ。

明日の飛行機はAM6:55発なので、2時間前くらいには空港へ行かなければならない。フロントで、AM3:30にタクシーを頼み、モーニングコールをAM3:00にセットし、早めに寝た。


9日目

予定通り、AM3:00に起床し、AM3:30にタクシーに乗車した。

ニノイ・アキノ空港国際ターミナル1に到着するが、入口付近にたくさんの人が並んでいる。どこに並べばいいかわからないが、空港職員に聞き、並んだ。すると、別の空港職員が、こっちに並べと別の場所へ連れて行こうとし、チップを要求された。お金がないからどうせ払わない。

並ぶところは2箇所であったが、建物に入ると、結局は同じ所に並ぶようだ。

入って、ジェットスターのカウンターへ行き、eチケットを提出し、荷物を預けた。その後、チケットを受け取ると、座席指定で窓側を指定していたが、窓側でも通路側でもなく、3列の真ん中の座席であった。

ジェットスターのホームページには、「座席のリクエストはあくまでもお客様のご希望をお伺いするものであり、ジェットスターは希望された座席が空いていることを保証するものではありません」と書いてあり、お金を払っていても予約した座席と違う場合がある。マニラから関空に行く便は、シンガポール→マニラ→関空であるため、シンガポール→マニラの乗客の座席優先になっているものと考えられる。

また乗る機会があるなら、座席指定はしないでおこう。

空港利用税P550ペソを払い、手荷物検査を受け、出発ロビーへ向かいます。時間が早いためか、開いている店は多くない。カップラーメンとコーラを飲んで、飛行機に乗りました。

少し狭いのを我慢していれば、すぐに関空に到着です。

関空から三宮のバスは往復チケットを購入済みだったので、そのチケットで乗車です。

三宮に到着し、最寄りの駅までの電車代を考えると数百円残ったので、三宮の吉野家で食事し、電車に乗り帰宅した。

家にたどり着いたとき、財布の中には札は一枚もありませんでした。

 
 
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